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20220805_ありがたい毎日_連合会の日ブログ記事

執筆者の写真: konkomienetkonkomienet

「ありがたい毎日」

金光教勢津教会在籍教師 

笠井光子


 「あたりまえと思っていた毎日が、あたりまえではなく恵まれた毎日なのです。さあ、感謝から始めましょう。」


 この言葉は、玉水教会み教えポスター「よいはなし」より引用させて頂いた、当教会で毎日定時のご祈念のあとに皆で唱えさせてもらっている「7月のことば」である。普段何気なくできていることが、当たり前ではないと今までも時々に感じさせてもらっていたことである。


〇以前、腰を痛め、あまりの痛さに起き上がることが難しい時があった。ちょっとでも動かそうとすると痛くて寝返りすることもできなかった。今までどうやって起きていたのだろうか?と分からなくなるぐらいだった。

 「金光様!」と何度も唱えさせていただき、やっと起きることができた。起きるには起きたが、今度は立つことができない。椅子を持ってきてもらい、椅子を支えに何とか立つことができた。

 次は歩くことである。何も持たずには歩けない。椅子の背もたれを持って、ベビーカーを押すようにゆっくりと足を動かす。何とか歩くことができた。

 その次は、トイレに行こうと思うのだがこれもまた大変だった。2~3mの距離を行って帰るまで30分くらいかかった。座るのも立つのも、トイレットペーパーに手を伸ばすのも大変だったが、それでもちゃんと行くことができてありがたかった。


〇数年前、右足の血管が痛くなったことがある。産後静脈瘤になり、長年右足の血管がボコボコしていたのだが、その右足がバキバキという感じで、急に正座ができなくなった。近くの病院で診察を受け、血液検査等をしてもらったが、治療することはなかった。その後、数か月痛みがあったが、血流をよくするためにと、食事等に気を付けるようにしていたら、いつの間にか痛みは取れ、今では正座も楽にさせてもらえている。


 何も考えずにサッと起きることができる、トイレにもすぐに行くことができる、歩くことができる、座ることができる、正座をすることができる。「~できる」ということは、決して当たり前のことではなく、おかげを頂いて、いろんなもののお世話になって、はじめてできているんだなぁと気付かされた。


 最近特に思うことは、何か特別にうれしいことがあってありがとうと思うだけでなく、いつもと同じように朝起きさせてもらうことができ、いつもと同じように御用させてもらうことができる。そして、いつもと同じように休ませてもらうことができる。日々の生活がいつものように過ごさせてもらえることがありがたいなぁということである。


 四代金光様から、何度も何度も「お礼が土台です」と教えていただいた。目が覚めることができた、歩くことができた、お参りすることができた・・・

 この歳になってようやく、自然とありがたいなぁ、お世話になっての一日だなぁ、とお礼を言わせてもらえることが増えてきた。

 「~できた」ことのお礼と、お世話になってはじめて「~することができる」ということを忘れないよう日々稽古させていただきたいと思っている。




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