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20211205_待たされて_連合会の日ブログ記事

「待たされて」

金光教鳥羽教会副教会長 野呂教行


 私は10年ほど前から、心臓に不整脈が出るようになりました。何年か経つ間に慢性化し、手術が必要となりました。3年前に循環器専門の病院でカテーテル手術を受け、昨年の4月、定期検診で通院した時のことです。

 この病院は救急病院でもあり、急患が入りますと、あらかじめ予約していた診察時間が大きく遅れることもあります。

 この日、待合室で待っていましたら、女性2人の話声が聞こえてきました。その方は、

 「もう血液検査から1時間も待つのに何のアナウンスもないわ」

 「雨が降ってきたら洗濯物どうしようかしら。いやだ、私帰るわ」

 そんな感じでずっと愚痴がやみません。

 連れの人に、「次の番かもしれないからね、もう少し待って。」と諭されていました。しばらくして検査室に呼ばれて入っていきましたが、5分後には戻り、更に愚痴が止まりません。

 「1時間も待って、たった5分の検査よ」「早く終わる人を先に診てほしいわよねえ」という感じで、また言いたい放題です。精密検査の必要や、異状がない事にまで不足を言っています。


 この病院は患者が多く、問診までに2時間ぐらい待つのはよくあることです。大きな声は、周りの人をとてもゆううつな気持ちにさせます。連れの人は、「みんな同じように待っているから」といってなだめますが、全く収まる様子はありません。私は一言声をかけようかと思いましたが、その時またその方は呼ばれて次の検査室に入っていきました。

 この方に限らず、この病院では診察を待つ時間を気にする人が時々おられます。

 私は、「待ち時間が長いね!いつになったら診てもらえるんだろうね?」と病院で話しかけられた時には、「この病院は、緊急で危ない人ほど、密着して付き添ってくださいます。待ち時間が長ければ長いほど、あなたの身体に心配がないということですから安心して下さいね」と言ってあげる事にしています。

 そうしますと、たいてい微笑んで喜んで下さいます。


 なぜ、そのように感じるようになったのかと言いますと、8年前のある暑い夏の日のことでした。私は定期検診で病院に行きました。その時、なぜか頭がとても熱かったのですが、気温のせいかと思いながら、心電図室で横になりセンサーを付けますと、なぜか眠ってしまいました。

 足音が聞こえ、目を開けますと、主治医と看護師さんが居て、私の右腕はすでに点滴されて処置室にいました。

 「どうかしたのでしょうか?」と聞きますと、「強い症状の発作なので監視します」と言われました。鼓動が1分間に200回ほど有り、先生は付ききりで心電図モニターをにらんでいます。鼓動が止まらないよう、一生懸命になって下さる先生の姿に、私は有り難いなあ、他の患者さんを待たせて申し訳ないなあ、と感じました。

 そして先生は「心臓が頑張っています。あなたも頑張って下さい」と仰いました。

 私は祈りました。そして2時間ほど主治医を独占したわけです。院内には急患のアナウンスが流れ、他の予約患者さんも私の事を想い、待って頂いている事を強く感じました。

 そして、私の心臓は徐々に平常に戻り、落ち着きを取り戻しました。


 私は、病院の中で発作が起きた事は神様のおかげだと感じました。

 もし、車の運転中に発作が起きて気を失っていたら、自分の命だけではなく、縁もゆかりも無い方の命を奪っていたかもしれません。

 この病院での経験のあと、例え長い時間待たされても、先生の一言しかないような短い問診であることが、とても嬉しくて、この上もない幸せで有り難い事なのだと思うようになりました。

 「何も異状ないですね。良くも悪くもないですよ」という、お医者様の、その一言が楽しみな言葉だと思うようになったのです。

 私は、待ち時間が長いほどに、いつも自分の助けられた一部始終を思い出すことにしています。そして、急患の方があれば、無事に手当てが出来ますようにと、お祈りが出来るようになりました。

 待たせていただくことは幸せなこと、ありがたいことだと実感しています。いろいろなことを通して、神様は大切なことに気付かせてくれる。また一つ、神様からお育ていただいたように思っています。



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